もしねずみ男がイーラーニング研究所の顔になったら

「今は福士蒼汰さんがイメージキャラクター」
イーラーニング研究所では現在福士蒼汰さんがイメージキャラクターを務めています。福士蒼汰さんを起用した背景には、イーラーニング研究所が展開するスクールTVを身近に感じてもらうため、優しいお兄さんのイメージにぴったりな福士蒼汰さんが抜擢された形です。子供たちが近所のお兄さんに教えてもらうような感覚で利用してほしいという思いもこの中には含まれています。その時のお兄さんのイメージに福士蒼汰さんはぴったりだと言えます。その一方、ねずみ男に優しいお兄さんというイメージはありません。むしろ悪いことやどうでもいいことを教えようとするおじさんというイメージもあるなど、お母さんにとって見ればそんな人に教えてほしいとは思えません。

 

「イーラーニング研究所のイメージに合わない」
ねずみ男がイーラーニング研究所のイメージキャラクターになったとすれば、イメージ自体が変わってしまう恐れがあります。まずなぜねずみ男なのかという強い疑問が浮かびます。ねずみ男といえばずる賢いイメージがあるため、純粋に学んでほしいと子供に対して考える親御さんにとって、ずる賢くて常に楽をしようと考えるねずみ男はあまりいい存在とは言えません。子供には正々堂々と生きてほしいと考える人も多く、明らかにイーラーニング研究所のイメージとは違います。ビジネスマン向けの講座もありますが、やはりここでもイメージは違います。ずるいことをしてでも相手を出し抜くことを堂々と言われるのではないか、そんなイメージすらねずみ男は持たせます。

 

「ねずみ男がイーラーニング研究所で更正?」
逆の見方としては、ねずみ男のような存在でもイーラーニング研究所の講座を受けていく中で更正していき、正々堂々と生きる、もしくは学ぶ意識を常に持つようになるという見方もできます。もしその見方をするのであれば、どんな人物であったとしてもイーラーニング研究所の講座を受ければスキルアップにつながり、人生においてプラスに働くかもしれないと思うはずです。子供にしても、手のかかるねずみ男がマジメに勉強を受け、人としての成長が見られるとなればその効果の高さに期待を持たずにはいられません。イメージには合わないからこそ、指導によって人は変わるというメッセージであればそこまで否定的な見方はされないはずです。

 

「ねずみ男と福士蒼汰さんの共通する部分」
一見すると、福士蒼汰さんとねずみ男に共通点なんかあるわけがないと思いたくなりますが、実はいくつかあります。まずは素直な点と、ここぞの時になれば仲間のために何とかしようとする点です。ねずみ男は普段は自分のことしか考えませんが、それでも危機的な状況を仲間が迎えれば何とか助けようとします。イケメンぶりで言えば全く違いますが、心の部分では通じるところが多いかもしれません。プラス面とマイナス面、それぞれに魅力があるのがねずみ男であり、イーラーニング研究所の顔になってもそこまで違和感はないです。

イーラーニング研究所の従業員が全員ねずみ男だったら大変

「ギスギスした環境になるのは確実」
全員同じ人だったらどうなるかという質問があった場合、あり得ない質問であるためマジメに答える人はいないかもしれませんが、イーラーニング研究所の従業員が全員ねずみ男だったとしたら非常に恐ろしいです。イーラーニング研究所といえば子供向けの講座やビジネスマン向けの講座、そして資格対策講座などがあります。それに携わる人全員がねずみ男だったとしたら講座を受ける側も講座を提供する側もその心は晴れず、嫌な気持ちだけが残るはずです。ねずみ男といえば調和というものを考慮せず、自分勝手に行動をする人物です。そんな人ばかりになってしまえば、相手のことを全く配慮できない状況になり、学ぶ意識を高くしようとしても結局嫌気が差してしまうということになってしまう可能性があります。

 

「イーラーニング研究所の従業員は相手を思いやる」
スクール事業ではそろばん教室などを展開していますが、もしそこで働く人がねずみ男だったら最初のうちは子供も楽しいかもしれませんが、段々と嫌になるはずです。学んでいく中で上達のスピードが落ちることがあります。嫌気が差し始めた時期にねずみ男がさらにやる気を失わせることを言ってしまうかもしれません。そうなれば勉強自体が嫌になり、今後学ぶことすら放棄する可能性があります。イーラーニング研究所で働く従業員は相手に対する思いやり、配慮を欠かしません。それがなければ学ぶ意識を失わせてしまうからです。ねずみ男が1人いただけで成立しにくい中、全員がねずみ男だったとしたらイーラーニング研究所の運営は難しくなるかもしれません。

 

「ねずみ男は実は素直な人間だからうまくいくかも」
全員ねずみ男だったらイーラーニング研究所は大変なことになるという見方もできる一方で、ねずみ男の素直さにクローズアップするのも大事です。計算高いところはありながらも、結局は短絡的な計算のためにたいていは失敗します。だからこそ、憎めないキャラということになりますが、素直であることは言えます。素直であればイーラーニング研究所でも従業員として働くことは十分に可能です。学ぶ意識は素直さに比例するところがあり、素朴な疑問なども素直さに通じるものがあります。改善すべき部分はあるものの、素直さを大事にしていけば何とかなるといえなくもありません。

 

「多様性こそが学びの場では一番大事になる」
全員ねずみ男だったら嫌だという結論になる一方、ねずみ男ではなかったにしても全員同じ人というのはあまりいいことではありません。イーラーニング研究所の講座を受ける人は千差万別、十人十色であり、個性が全く違います。教える側などが全員同じだとしたら全く違う個性の人に対応できません。なので、全員がねずみ男だろうとロボットだろうとあまりいいことではないです。ねずみ男のような人がいても、絶世の美人がいたとしても学びの場では教える側の多様性が大事です。

ねずみ男がイーラーニング研究所を襲撃?

「ゴジラが東京を破壊していく様子」
日本の特撮文化は昔から素晴らしく、ゴジラなどの怪獣が登場し、日本の都市をどんどん壊していく様子が映画などになっていました。普通、自分の住んでいる街が壊されていけば悪役のような印象を覚えますが、ゴジラが劇中で死んでしまった場合にはゴジラの葬儀というものが行われました。本来悪役のはずのゴジラが死んでしまい、それに対して涙を流す人がたくさんいたということです。もしこれに目をつけたねずみ男が、まるでゴジラのようにイーラーニング研究所を襲撃したとしたらねずみ男も同じような扱いになるのか気になるところです。しかし、ゴジラとは違い、多くの人に恨まれるだけでなく一生許してくれない人も出てくるはずです。

 

「ゴジラとねずみ男の大きな違いとは」
ゴジラがなぜ誕生したかといえば、放射能によって生まれたなど様々な設定があります。人間が生み出した兵器によって誕生し、それが人間を苦しめるというある種のおとぎ話、童話のような展開があり、人間の身勝手さの象徴となった一方で当時の戦後の閉塞感を打破したい思いもそこにはあったようです。単に破壊を繰り返す怪獣ではなく、多くの人に愛される存在になったのはそれなりの理由がありました。では、ねずみ男がイーラーニング研究所を破壊する行為にそれらの要素があるかといえばほとんどありません。まずイーラーニング研究所は子供たちの教育やスキルアップをしたいビジネスマンのためにサービスを提供し、学びやすい環境を作り出しており、全くもって関係ありません。そこが大きな違いです。

 

「ねずみ男がゴジラのように愛されるには」
イーラーニング研究所を襲撃しようとするねずみ男がゴジラのように愛されるにはそれなりの大義名分が必要になります。例えば、イーラーニング研究所が過去に固執し、新しいサービスを展開しようとしないからと襲撃するパターンです。これなら多少悪者になってでもイーラーニング研究所を変えたかったというねずみ男の気持ちが多くの人に伝わるはずです。ただイーラーニング研究所は過去に固執することもなければ、新しいサービスを展開しようとしない姿勢はありません。なかなか大義名分をもって襲撃することは難しいです。結論からいえば、ゴジラのノリで襲撃しようとすれば、イーラーニング研究所に携わるすべての人を不幸にさせてしまいます。

 

「どんなことでも襲撃してはならない」
ゴジラのように襲撃をしたら面白いはずだという思いでねずみ男は襲撃を仕掛けるかもしれません。しかし、本当に襲撃を仕掛ければ多くの人が悲しむこともねずみ男は分かっているはずです。ねずみ男は実際に行動に移してから後悔することが多いので、襲撃してからでは遅いです。ねずみ男がもしそのノリでイーラーニング研究所を襲うのであれば、その前に止める必要があります。子供たちの学びの場、ビジネスマンのスキルアップの場がなくなることは避けなければなりません。